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コールドウェル郡()は、アメリカ合衆国ミズーリ州の北西部に位置する郡である。2010年国勢調査での人口は9,424人だった〔Quickfacts.census.gov - Caldwell County - accessed 2011-12-06.〕。郡庁所在地はキングストン市(人口348人〔American FactFinder - Kingston, Missouri - accessed 2011-12-06.〕)であり、同郡で人口最大の都市はハミルトン市(人口1,809人〔American FactFinder - Hamilton, Missouri - accessed 2011-12-06.〕)である。コールドウェル郡は1836年12月29日に組織化され、同年11月にジャクソン郡から追い出され、隣接するクレイ郡で難民となっていたモルモン教徒の避難所となった。1838年のモルモン戦争ではその主要舞台となり、当時のリルバーン・ボッグス州知事がいわゆる「絶滅令」を出した後、ミズーリ州からはモルモン教徒が全て追放されることになった。郡名は、1786年にジョージ・ロジャース・クラークが行った対インディアン作戦に参加し、ミズーリ州第2代副知事を務めたジョン・コールドウェルに因んで、アレクサンダー・ドニファンが名付けた。(ケンタッキー州のコールドウェル郡もジョン・コールドウェル因んで名付けられた)。 コールドウェル郡はに属している。 == 歴史 == === モルモン開拓者 === コールドウェル郡は元々レイ郡の一部だった。最初の白人開拓者はジェシー・マン・シニアであり、1831年にショール・クリーク沿いキングストンの公共広場から北東に半マイル (800 m) の所に入植した。初期の開拓者は1832年におきたブラック・ホーク戦争から逃れるために南部に戻った。 ジャクソン郡を強制退去させられたモルモン教徒数人が1832年にコールドウェル郡内に移動した。その中のジェイコブ・ホーンが建てたショール・クリーク沿いの製粉所は、1838年のモルモン戦争のときにホーンズミル虐殺と呼ばれる流血の多い戦闘の舞台になった。 開拓者達は、キングストンの南東2マイル (3 km) に郡内では初めての町であるセイラムを設立した。1836年秋に多くのモルモン教徒が郡内に移動してきた。この年、ミズーリ州議会がコールドウェル郡を設立し、その地はモルモン教徒に与えられるものとの諒解だった。郡庁所在地はファーウェストだった。1838年のファーウェストの人口は4,000人と報告されていた。 モルモン教の初期重要人物である、ジョセフ・スミス・ジュニア、ハイラム・スミス、ブリガム・ヤング、ジョン・テイラー、エドワード・パートリッジ、シドニー・リグドン、パーリー・P・プラット、ジョン・D・リーなどがこの移民の中に含まれていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「コールドウェル郡 (ミズーリ州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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